ご遺族の声


南部節子さん(60代 茨城)
石倉紘子さん(60代 京都)
(無断転載厳禁)

 

 南部節子さん (60代、茨城)
 

 20代の娘と息子がいます。
 2004年2月04日、夜9:34分単身赴任先の横浜から「今帰った」との電話を最後に行方不明、そして2月11日夜9:34分、新婚当時
暮らしていた奈良県の団地近くのJRに飛び込み自殺してしまいました。58歳でした。
 遺書には、「仕事が出来ない、ごめんなさい、ごめんなさい、・・・・」と、何度もつづられていました。
 自分の夫が死を考えているなんて思ってもいませんでした。悩んでいるなら、1番に私に相談してくれると思っていました。
 なぜ気づけなかったのか?助けられなかった自分、あの時サインを出していたのに!あの時ああしていれば!あの時ああ言えば
よかったのに!と悔いばかりの毎日。
 遺影に向かっては、「何で!!」と怒りをぶつけたり、「ごめんね、ごめんね」と謝り続けたりしました。
 近所には、心筋梗塞とうそをついていました。私の中にやはり自殺は身勝手な死という偏見があったのだと思います。
 でも、いろいろ調べるうち、追い込まれての死、これを社会問題として捉えないと、辛い思いをする人達は減らないのではと考えるように
なりました。
 残されたものは、辛くてもいろんな手続きをしなければなりません。手続きの一覧表があればよかったのと、遺族のつどいの紹介ちらしか
リーフレットでも渡していただければありがたいです。
 役所へ手続きに行くときは、一番辛いときなので、どこか個室でも用意していただければ助かるなあとも思いました。
 また、周りの人は「元気出してね」や「がんばってね」の励ましの言葉ではなく、そっと感情に寄り添ってほしいのです。
 幸いにして、私の場合は、子供や親戚回りの人ら、誰からも責められなかったので、孤立からは救われた様な気がします。
(無断転載厳禁)  



 


 石倉紘子さん (60代、京都)
 


 夫を自死で亡くしました。そのことを家族にも誰にも言うことができませんでした。
 なぜ死んだのか、どうしてひとこと言ってくれなかったのか?
 なぜなぜなぜ???
 突然、置いていかれてしまったショック、悲しみ、辛さ、寂しさ、悔しさ、今後の不安、夫の辛さ、苦しみをわかってあげられなかったこと、
夫の自死を防ぐことが出来なかったこと、良い妻ではなかったこと、生きている資格はないこと、もう生きてはいけないこと、死んでしまい
たいこと、など抱えて、ひたすら悲しくて泣いてばかりいました。強いお酒を浴びるように飲んでは泣き、わめき泥酔する日々でした。
 1年半の間に2度の自殺未遂をしました。2度目に生き返ったときには、生きる気力も死ぬ気力も失った抜け殻でした。職場の主任が見かね
て強制的に医者に連れて行き、毎日朝夕2回の点滴の生活になりました。急性アルコール肝炎になっていました。未遂に終わってからは、
今後生きていくことでの経済的不安が有り、働くしかありませんでした(家賃など)。
 10年間は、夫の自死については内緒にしながら聞かれるとウソをついていました。(心臓病、脳の病気など) いつも夫に対して後ろめたさと
申し訳なさを感じながらのウソでした。
 来る日も来る日も、自分を責める、なぜ死んだのか?なぜ、なぜ、なぜ?死んだのか?なぜ置いていってしまったのか。
 社会からも、誰からも見捨てられていると感じ、孤独感、孤立感は深いものでした。寂しかったです。
 話を聞いてほしい。でも言ったらどうなるかわからない。わかってもらえるかどうかわからない。自死遺族としてしか見てもらえないのでは
ないか?聞いてほしい、話したくない、わかって貰えっこないから、、、が同居していました。
 10年後、阪神大震災でボランティア活動を始めたときに仮設住宅での自殺者が非常に多く「見捨てられた死」、「人間としての尊厳を失わ
れた死」という印象を受けました。そして夫の自死についても「病気と闘いながら生きた夫の生」「懸命に生きた夫の生の証をしたい」、「夫の
死を無駄にしたくない」、という強い気持ちに駆り立てられました。夫の生を無駄にしないことで夫の「人間としての尊厳」を取り戻したいと強く
考えるようになりました。
 2003年8月、日本在宅ケアホスピス研究会内、ひまわりの会の呼びかけにより自死遺族わかちあいの会立ち上げ時(現在わかちあいの会
風舎)からスタッフとして参加しました。
 そんなときにNHKテレビ「自殺っていえなかった」を見ました。若い大学生、高校生の方が勇気を振り絞って本名で発言をしている姿に
強烈なショックを受けました。頭を叩かれたような衝撃を受けました。
 自分の人生を振り返り、自死遺族が自分の人生を取り戻せるためには、辛い体験、苦しい体験だけれど同じ体験をした人の中で安心して、
話し、聴くことにより自分の体験を整理し、大切な人の自死を受け入れ、自分が人生の主体者として人生に向き合いなおしていくことの必要
性を感じました。
 2006年2月に「こころのカフェ きょうと」を設立し、自殺予防、未遂者支援、遺族支援の活動を京都でも始めました。1年間に144人以上の
人が参加し、遠くから近くから(関東、中部、北陸、中国地方から)会に参加し、時には泣き、時には怒り、微笑み、手を握り合い、抱き合いし
ながら次回参加の約束をしている姿が有ります。
 孤立している遺族にはこういった会がぜひ必要です。会を必要としている方が多いため参加者が多いのですが、研修を受けたスタッフが
足りない、スタッフにも研修が必要、また遺族の抱えているなどの多様な問題が見えてきました。
 会に参加される方は、知り合いに会いたくないからわざわざ遠くから来る人、近くに無いから来る人、抱えている問題も回復に至る過程も
一人ひとりみんな違います。自死遺族にとって、親族を亡くし悲嘆にくれている時期に、ひとりでは解決できないことが山積します。自分の
置かれている状況を一緒に考え整理するための手助け、食事・買い物支援、お葬式・香典返しの段取りなどの手伝い、経済的な問題
〔私の場合は、生活費〕の解決への手助けなどのサポートが必要とされています。
 また職場では、落ち着くまで休職や、短時間勤務、メンタルケアなどへの理解が不可欠です。
 私の場合、未遂を救ってもらえた事は幸いでした。そのときには恨みましたが、今は助けてもらってよかった、と思っています。友人、知人
近隣の関係が深ければ私のような人が自殺することを防ぎやすいのではないでしょうか。
 問題解決の鍵は「遺族にとってなにが一番大事か?遺族が住みやすい社会は誰にとっても住みやすい社会」であり、回復の道をたどる
ためには選択肢やサポートがたくさんあることです。これには各機関とのネットワークが必要だけれど、現在非常に少ないのが現状です。
(無断転載厳禁) 
石倉さんが主宰する自死遺族分かち合いのつどい「こころのカフェきょうと」のHPへはこちら→